ビリギャルを超える!?タイガストーリー
これから”河原塾とは何か?”を説明するのに、ひとつのリアルストーリーを紹介します。ここに僕(塾超)があなたに伝えたい「全ての回答」があります。
塾講師として生涯忘れられない
タイガくんの話 「叱らないほめない教えない・・」の付章から抜粋
■認めてあげることからすべては始まる
私には、塾講師として生涯忘れられない強烈な印象を残してくれた生徒がいます。
2014年に高校受験をしたタイガくんという子です。
彼は、学校では先生にまったく相手にされていませんでした。
いわゆる「ワル」のレッテルを貼られ、何をやっても悪者扱いされます。偏差値は40台です。
野球部に入っていますが、野球も中途半端で背番号ももらえません。暇があればLINEで遊んでいるような子でした。中学1年になろうとする春、お母さんに連れられて私の塾に来ました。 彼には行きたい公立高校がありました。その学校の偏差値は62でした。
ちょっとありえません。 40台の生徒が60台の高校を目指す。
でも、無理ではありませ ん。やってみないとわかりません。
最大の障害はお父さん、お母さんでした。
タイガくんには優秀なお兄さんがいて、両親はことあるごとにお兄さんとタイガくんを比べるのです。
「どうしてあなたはできないの?」といつも言われていたそうです。
お父さんもそういうお母さんをなだめながらも、自分がエリートの学校を卒業していることもあり、タイガくんに対して同じような目で見ていたのでしょう。
これはダメだなと思いました。それで私はお母さんに対して「とにかく黙っていてください」と言い続けました。
そして、私はタイガという子ども本人を見ました。
その子は悪い子でもなんでもありませんでした。でも、そう見られてしまっている。
いろいろと話を聞いたところ、彼には見込みがあると感じました。
私は彼を認めたくなりました。
誰にも認められていなかった彼を、私だけは認めようと思ったのです。
「おまえはきっと出来るようになる。」と私は言い続けました。
それまでのタイガくんには、学校の先生から向けられる疎外感、優等生の兄との比較、子を思うあまりの親の間違った言動など多くの「勇気くじき」がありました。それを少しずつ排除することで、やがて彼は大きく変わっていきます。
まず、私はLINEをどうするか考えてもらいました。
最初は抵抗しましたが、「公立高校を目指すのをやめるか、いますぐLINEをやめるか、どっちか にしろ」と言うと、彼は「LINEをやめる」と言ってなんとiPodを私に預けたのです。
次に、朝5時前に起きることを約束しました。起きたら私にメールすることを約束しました。
まずは早起きすることに専念させましたが、徐々に勉強するようになっていきました。
変化に驚いたのはお母さんでした。
「あの悪たれタイガが、朝、私に『おはようございます』と言ってきた」と。
しかも、ラジオ体操をやり出したり、家の掃除をするようになったそうです。
そして1年が過ぎました。成績はあまり伸びませんでした。
でも、私はタイガくんの生活の変化を見て、これはイケると思いました。
ところが、お父さん、お母さんは気が気ではありません。「なぜ結果が出ないんですか」と盛んに言ってくるわけです。結果が見えないとマイナス面を見てしまう。これは親によくありがちなパターンです。
ひとつメールを紹介しましょう。
これは成績が思ったように上がらないため、焦って、そのことばかりダメ出しする親への、僕からの警告メールです。
ーーーー
・・(前略)
点数だけを上げるのは、とても簡単です。出る問題をやらせてしまえばいいのですから。。。
そういう塾は、巷にたくさんあります。
そのような塾で、本当に成績が上がれば、河原塾は必要ないということになります。
しかし、そういうやり方では、最後に大きな落とし穴が待っています。
子供が勉強して成長していくというのは、そういう表面的なことではありません。
(後略)・・
ーーーー
結果の出る時期には個人差があります。でも、行動をしていれば必ずいつか結果は出ます。私はそう言い続けました。
高校受験というのはやることもほぼ決まっているので、結果が出るかどうかは見ていればわかるのです。 一生懸命やっているのに結果が出ないと本人も挫けそうになります。
お母さんがとくに心配性で、「こんなに結果が出ないのなら、志望校のレベルを下げたほうがいいでしょうか」と言い出しました。
私は「ちょっと待ってください。これだけ一生懸命頑張っているのに、この勉強をやめさせるんですか」と言いました。
私はタイガくんを認めていますから、彼を信じてアドバイスを続けました。
■「自分はやればできる」とわかった子は強い
3年生になって部活も終わり、夏が過ぎました。それでも結果は出ません。 成績は下がりはしないのですが伸びないのです。彼は本番でいろいろやらかす実力を出せない子でした。
ご両親はますます心配になって、「本当に大丈夫なんですか」と聞いてきます。
その時点でも偏差値はまだ 52~53でしたが、私は「大丈夫です」と断言しました。
塾講師としての長年の勘でわかったのです。
12月になりました。そこで初めて成績が急角度で上がったのです。それでも志望校に入るには偏差値で5くらい足りません。
しかも、その次のテストではそこから伸びません。お母さんはまた「やっぱり志望校を下げたほうが」と言い出します。
そんなことはお構いなしに、タイガくんは一日も休まず朝4時半に起きて、朝勉強を続けました。
5時から7時まで2時間勉強し、夜は週2回の塾と1時間の家での勉強だけです。
そして、年が明けた2月の実力テストで、ついに待望の志望校の偏差値に届いたのです。
学校のテストでも、統一テストでもすべて同様の結果が出ました。もう間違いありません、結果が出たのです。
この頃からご両親の見方も変わってきました。
「もしかしたら、この子はできるんじゃないか」と思い始めたのです。子どもが親を変えたのです。 本人は本当に頑張ったと思います。
でも、実は違いました。 なんと、勉強が楽しくなってしまったのです。「朝起きて勉強するのが楽しい」と言うのです。あの、元、悪たれ坊主がです。
なぜかと聞くと、「夜つらい思いをしなくてもすむから」と。「それでいい。その朝の2時間だけ集中しろ」と私はアドバイスしました。
重ねて驚いたことがありました。家族が変わったのです。両親とお兄さんもタ イガくんの生活に合わせて早起きをするようになりました。
受験は目前に迫りました。この頃には志望校の偏差値をすでに超えていました。
こうして受験当日を迎えます。結果はどうだったか?
「不合格」でした 。
合格発表の帰り道にタイガくんから電話がありました。
「塾超、番号ありませんでした」と。
私は彼の頑張りを知っているから、どう言葉をかけようか迷いました。
そして、「どんな気持ちだ?」と聞きました。
彼はこう言ったのです。
「晴れ晴れとした気持ちです!」
本当に晴れ晴れといい放ちました、、悔しさなど微塵も無いのです。
私は目頭が熱くなりました。しばらく言葉も出ませんでした。
お父さん、お母さんも「この言葉に打ちのめされた」そうです。
彼の中では、合格か不合格かという次元など超えていました。
自分がやればできるとわかったこと。自分が力を出せたこと。そのことのほうが重要になっていたのです。
タイガくんは私立の高校へ行くことになりました。でも、どこの高校へ行こうと、自分が頑張ったという価値は変わらないことを知ったのです。
お母さんはこう言いました。
「合格できなかったことは、もういいんです。あの子がこれだけできることが、 わかったから。私は将来あの子は何かやってくれると確信しました」
後日、本人とお父さんが改めて塾へ挨拶に来てくれました。あのときの二人の晴れ晴れとした笑顔がいまでも目に浮かびます。
塾講師をやっていて本当によかった。私は心からそう思いました。
*以上「叱らないほめない教えない・・」から抜粋、改訂。
◯受験発表日翌日のタイガ母からのメール
泰河は車のなかでしばらく天井を見上げていました。
自己採点でわかってはいたのですが気持ちの整理にしばらくかかったようです
そして、塾超に電話。
泰河の口からでた言葉にほんとに驚きました。
いつもボソボソ語る泰河から、はっきりとした言葉が友達の合格の知らせが、
いきかうなか自分なりにこころの整理をしていた一日だったとおもいます
受験後に、僕とタイガふたりきりで行った、教室での、<ipod返却式>
僕は、涙をこらえるのにかなり苦労していました。
このあと、お父さんと挨拶に来た時には、なぜか記念写真を撮ることが出来ませんでした。
その時は、どうしてかわかりませんでしたが、今思うと、僕は、きっと、人間として彼と別れるのが、どこか辛かったのだと感じています。
「タイガくん、バンザイ!!君は実に素晴らしい!!」
本当にそう思います! じいちゃんばあちゃん、凄いです。本当にありがとうございます。
彼は、私立高校に進んだ、やりたかったサッカー部に入り忙しい日々を過ごした。しかし、朝勉だけはそのまま続けた。
彼にあり得ない結果が待っているのは、明確にわかっていた。すると、最近お母さまからメールで報告を頂いた。あっけなく学年2位だ。学校の先生に、高校に行けないと言われ続けた、あの悪たれ坊主がだ・・・
■僕が密かに思う事・・
河原塾のキャッチフレーズ
「偏差値60位上の高校100%合格!」
が、この年、見事に崩れ落ちた。
いい機会だった、、、もう、そんなことはどうでもいい!
今でも本気で、「合格=不合格」と思っています。
しかし一方、現実に受験生の多くは、その言葉に夢を託し、この塾に来てくれているのです。「合格」のみを、勝ち取りに来てくれているのです。
そんな子供たちや親御さまに「合格=不合格」だなんて、なかなか理解されないのも、重々承知です。
塾を職業として純粋に、それを考えれば、この世界は、”合格させてなんぼの世界”です。
実は、そんな事も、たまに考えることがあります。。。
もしかしたら、僕は、タイガのことも、単に「不合格の言い訳」を、並べているだけではないのか・・・それをまったく感じない。と言ったら嘘になります。
しかし、そんな迷いも一気に吹っ飛ぶようなことが起きたのです。
先日、タイガを載せた新刊本をタイガのお母さまに贈ったところ、メールを頂きました。
その時のことです。
彼には、小学生の弟がいたのです。(塾には来ていませんので会ったことありません。)
彼が、お兄ちゃんを題材に作文を書いたものを、送って頂きました。
そこには、とてつもない事が、綴られていました。
では、紹介します。
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河原先生
先日は新刊ありがとうございました
タイガはサッカーと両立し、彼なりにがんばっています
三男が昨年タイガを題材にして作文をかきました
県でも国でも表彰され、みなさんに「感動しました」との言葉をいただきました。
ぜひタイガには納得のいく毎日をすごしてほしいとおもっています
タイガ母
ーーーー
*親御さまの承諾を得て紹介致しております。
僕は、この作文を見て、確信しました。
僕のやってきた事は、間違ってはいなかったと・・
それは、単に携わった人以外の、周りの誰かも変わったということでした。
弟くんは、タイトルでいきなり言いました。
「社会は僕が明るくするんだ」と
読み終わって、涙が出ました。
いつも、タイガの様子は、お父さま、お母さまから伺っていたのですが、弟くんが、こんなにまでも、幼い心を震わせて、毎日の時間を、家族と共に送っていたんだなと、ひしひしと感じました。
そして、2段目、中程のお母さまの言葉。
「今までおこりすぎたんだと思う、ごめんね。みんなでかわっていこう。」
お母さまがこの言葉を発するまでには、相当な勇気が必要だったことでしょう。
お母さまを少しずつ、確実に変えていったのは、弟くんはもちろん知るよしもなく、実は、僕からお母さまとお父さまに送り続けた、メールでのあまりにも強く、そして、かなりキツいと思われるほどの”真剣なメッセージ”があったからだと確信しています。
しかし、お母さまが、それをしっかり受け入れることによって、どんどん家族が変わっていった様子がよくわかります。
僕は、タイガやお父さま、お母さまに、アドバイスを送っていたと思っていました。
ところが、そんな家族の一員である弟くんが、実は僕自身が社会に訴えたいことを、そのまま、堂々と立派に、口にしているのに驚き、そして感激しました。
そうなのです。
社会は、こうして正しい”教育”によって明るくなっていくのだと、僕は思います。
迷いはまったく無い。
誰もが、必ず持っている自分の才能に気づき行動する、そして幸せになる。
そして、タイガの弟くんと同じように、「社会が明るくなるように」子供や大人にも、大切なことを働きかけていきたいと強く決意しました。
最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました。
2015 5/22 塾超 河原利彦
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